ウインドサーフィンの歴史_①_始まり

Old-time Windsurfers in Hawaii
|| 風の力で大自然の懐へ
機械的なエネルギーを使わず、風の力で───実際には水面から得られるパワーも利用して───海面や湖面を滑走するウインドサーフィンは、自然という概念を具体的にダイレクトに感じられるマリンスポーツのひとつとして広く認識されています。いえ、広く? というと、もしかしたら首をかしげる人もいるかもしれません。「ウインドサーフィン」と言われて、その姿かたちをイメージできない人も少なくはない、という気もします。
でもとにかく、ウインドサーフィンほどシンプルな方法で、直接的に深く自然に溶け込んでいけるスポーツは、他にはあまり思い浮かびません。今回始まるこの連載は(個人的な思いが少し強めになるかもしれないけれど)そんな「素晴らしきウインドサーフィン」がいかに生まれて発展してきたのか、そのルーツやヒストリーを語っていくものです。それを語り、これを読んでいただくことによって、ウインドサーフィンの魅力や本質が少しでも伝われば、やってみたいと思う人が一人でも増えれば、あるいは現役ウインドサーファーがこのスポーツとともにあることに誇りや納得感のようなものを感じてくれたなら、とても嬉しく思います。

The Inventors of Windsurfing, Hoyle Schweitzer and Jim Drake
|| ウインドサーフィンの誕生
ウインドサーフィンは1967年、米国カリフォルニア州のマリーナ・デル・レイで生まれました。今は2026年だから、まだ59年しか経っていません。還暦前の新しい乗り物でありスポーツです。生みの親は当時別々の業界でバリバリ働き、成功していた二人の男───ホイル・シュワイツァー(Hoyle Schweitzer)とジム・ドレイク(Jim Drake)。
ホイルは当時IT会社の副社長として、またエレクトロニクス・エンジニアとしてその才覚を発揮していました。一方ジムは米国の航空宇宙技術者としてX-15ロケットやクルーズミサイルなどの設計に携わり、その世界ではかなりの有名人として知られる存在でした。
その二人がある日、ホイルが主催したパーティで出会うことになります。このときの接触こそがウインドサーフィンの原点を生み出すことになるわけです。ホイルがサーフィン好きでジムがヨットマンであったことから、おそらく話が弾んだのでしょう。諸説あるようですが、そのとき二人は次のような会話をしたと伝えられています。「まあサーフィンは楽しいけれど、人が多くてねえ」「ヨットもなかなか一人で気楽にというわけにはいかないし」「で、どうだろう、サーフボードにヨットのセイルをのせてみたら‥‥」
二人の思いが反応し、融合して、ほどなくウインドサーフィンの原型が完成しました。それが1967年のことです。カリフォルニアの海でテストが行われたそのセイル付きサーフボードは『SK-8』と名付けられ、それが現在に通じる最初のウインドサーフィン・プロトタイプとなりました。
翌年二人は『風力推進装置(Wind-Propelled Apparatus)』の特許を申請し(1970年6月特許取得)『SK-8』を『バハボード』と改名、その後の一年半のあいだに「ポリエステルとグラスファイバーのサーフボードのようなカスタム・フォーム・ボード」を約70本生産しました。でもそれだけしか作れなかった。なぜならその新しい乗り物が大きな問題を抱えていたからです。
||『ユニバーサル・ジョイント』 自由な関節が世界を広げる
「サーフボードにヨットのセイルを乗せて走る」ために問題となったのは操縦方法でした。ヨットには舵(ラダー)がついていおり、その舵の向きを調整することによって進行方向を変えることができます。でもサーフボードにセイルを乗せただけの乗り物では、容易に進行方向を変えることはできません。
そこで二人が(おそらくジムが中心となって)考案したのが『ユニバーサル・ジョイント』です。それはセイルとボードをがっちりつなぐパーツで、360度回転し、セイルをどの方向にも傾けることを可能にするものです。これにより乗り手がセイルの傾きを変えることで、つまりボードへのパワーの伝達方向を変えることで、進行方向を容易に変えることができるようになりました。

About Yacht and Windsurfing Rudders
『サーフボードにセイルをのせた乗り物』は『ユニバーサル・ジョイント』の発明により、今につながる『ウインドサーフィン』になったといえます。固定マストのヨットとは明らかに異なる『自由な関節(フリー・ジョイントと呼ばれたりもした)』を得たウインドサーフィンは文字通りに自由度を広げ、世界に漕ぎ出そうとしていました。
そして1969年、二人はともに開発したボードに『WINDSURFER(ウインドサーファー/全長12フィート≒365センチ、ポリエチレン製)』という名を与え、翌年には本格的に量産を開始しました。記録によれば生産開始から約二年間で535本、’72年には574本を生産し、同年には日本でも『ウインドサーファー(艇)』が見られるようになった、とあります。
その後10年も経たないうちに当時商標権の関係で主に『ボードセイリング』と呼ばれていた『ウインドサーフィン』は爆発的なブームを迎え、世界に100以上のメーカーが生まれて、さまざまな変化や進化を遂げていくことになります。
|| 日本のウインドサーフィンブーム
思えばウインドサーフィンが生まれた年、1967年は昭和42年で、日本は高度経済成長期の中盤でした。『ザ・タイガース』とか『ザ・スパイダース』とかのグループ・サウンズが全盛で、若者文化が大きく変化した年でした。ウインドサーフィンはそういう時流にジャストフィットしたのでしょう、当時の多くの日本の若者たちにとって(少なくとも少なくはない数の若者たちにとって)チェックしておくべきアイテムのひとつとなりました。

In the 1980s, a Windsurfing Boom swept Japan
そして1980年代に入ると、海に憧れをもつ若者の多くが「豊かな時代にラストスパートを仕掛けるために」とでもいうように、ウインドサーフィンに飛びつきました。海に向かう車のキャリアにウインドサーファー艇が積んであるという光景も珍しくありませんでした。そしてそれは日本におけるカリフォルニア的な景色として、普段はあまり海とは馴染みのない人たちを海に引き寄せる誘因にもなりました。当時ウインドサーフィン・ポイントだった海には、たくさんのカラフルなセイルが浮かび、浜にはたくさんのカラフルな若者がいたものです。いい時代でしたね。
それはさておき、驚きなのは素材や重量などの変化はあれど、当時と同じようなかたちの『ウインドサーファー艇』が今も生産されており、その乗り味や楽しさを継承したり発展させたりしている長いボードが、数は少ないとはいえ、今も研究開発されているということです。それはなぜか? ウインドサーフィンとして最初に生まれ、最初に認められたボードには、ウインドサーフィンに固有の、捨ててはいけない大事な特性があるからです。それは何か? この記事の冒頭に書いたようなことです。簡単に言えば、海を感じるための適切な接水面をキープしやすく、限りなく風を取り続けていなくとも(適当に風を受けていれば)走り続けることができる走行安定性ということになります。少なくとも僕は、それこそがウインドサーフィンを支えるもっとも大事な要素のひとつであると考えています。大切な友人との距離を適切に保ち、バランスの取れたやりとりによって親密な関係をキープする、みたいなことですね ─── つづく

Current Windsurfers in Shonan Enoshima

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